最近のトラックバック

日記・コラム・つぶやき

恋愛漫画が描けなかった理由

もうはるか昔の話になりますが・・・。

「別冊マーガレット」でデビューさせてもらい、ホラー漫画や友情漫画を何作か描いた後、「なおこさん、さすがにそろそろ恋愛漫画を描いてください」と言われ、めちゃくちゃ困った私

恋愛漫画が嫌いだったわけではなく、むしろ好きだったのに、いざ描こうとすると簡単には描けないものなんですよね。

当時は多分、羞恥心みたいなものもあったと思います。

「ナオコさんって、こういう恋愛したいの~?」みたいに思われるんじゃないかという自意識過剰な羞恥心というか。

あと、「こんな恋愛したいのあなただけよ?」みたいに、受け入れてもらえなかったらどうしようという不安というか・・・。

でも、その2つ以上に私の中にあったのが、「恋」ではなく「愛」を描きたいという思いだったんだと、今になって(どんだけ気づくのおそいんだ!?)分かってきました。

奪い合うような「恋」ではなく、とことん相手を思いやる「愛」って、読み切りとかで簡単には描けないですよ。ホントに。

振り返ってみると私自身、子供の頃からすごく恋愛には冷めてました。

「カッコイイじゃ~ん」って思う人は何人もいましたが、もしお付き合いしたら絶対速攻で嫌いになるだろうなって思っていて。

だから「ファン」にはなっても、それ以上何かしたいとは全然思わなくて。

姉妹で育ったせいもあるのかもしれませんが、憧れていた人の靴下がくさいとか、だらしないとか、そういうのが耐えられなかったんです

っていうか、その程度で嫌いになれる自信があったので、これは本当に好きなわけじゃないなって、自己分析してしまってて。

結婚相手に求めるものも、「離婚するときでもちゃんと逃げずに話し合いができる人」とかサラッと言っちゃってましたからね

そりゃ、そんな私に恋のマンガが描けるわけがないですね

でも最近は、描きたいんですよ。「恋愛漫画」。

というか、「漫画」。

私の大好きな歌に福山雅治さんの「最愛」というのがあります。

離れた場所から、相手をそっと見守り続けたいという「愛」。でも、やっぱりさびしくて、本当は側にいたかった、もっと近づきたかったという切なさで溢れた歌です。

こういう「愛」を描きたい

なんなら、キスどころか手さえつながないぐらいの愛。

そんなものはこの世にあるのか?と言われたら、ほぼないんじゃないかと思うから、だからこそ2次元の世界で描く価値があるんじゃないかなって思います。

この年になったらもう、羞恥心もなにもないですしね~

「最愛」を久しぶりに聴きながら、そんなことを思いました

役員引き継ぎ!

あっと言う間に1月も終盤

この時期、学校関係は役員さん引き継ぎの時期です。

私もこの1年、小学校の校外委員として活動したのですが、今日、次の方に引き継ぎを行いました

正確にはまだ活動も残っているし、年度交代なので3月末までは「校外委員」ではあるのですが・・・それでも本当にホッとしました

我が子の通う小学校は父兄の関わりがなかなか多い学校のようで、特にこの「校外委員」は鬼門と呼ばれています

一家庭1回という原則なので、私はもうこれでお役御免ですけど、うん、確かに大変でした

基本的にはPTA不要論に賛成な私としては、なんとかこの「校外委員」もラクにならないか、ラクに出来ないかと考えながらの活動でしたが、やってみると色々分かってきますね。

校外委員は、学校や地域、役所、警察などと連携しながら、子どもたちの安全な登下校を実現するというのが役目です。

そういう意味では「保護者の負担が大きすぎるからやめましょう!」と簡単に片付けられない活動なんですね。

細かい部分では、改善の余地はまだまだあると思うのですが、まるごとなくすというのは相当難しいなと感じました。

それと、私自身はこういう活動に達成感や充実感、「友達を作ろう!」みたいなものは求めていないタイプですが、今回は一緒に活動したメンバーにとても恵まれ、「良い経験をさせてもらったな」と、今はとても素直にそう思います。

そして、活動自体はとても大変だったし負担感も大きかったですが

「何のためにやるのか」

という、キモの部分が「子どもたちの安全な登下校のため」という万人が理解し賛成できる揺るぎないものだったので、私としてはそれが一番精神的にラクでした。

これがもし「子どもたちの笑顔のため」みたいな抽象的なものだったら、ストレスはハンパなかっただろうなと思います。

PTA活動なども、こういう「何のために」の部分をどう設定するか、そこに大きなヒントがあるんだろうなと思います。

が・・・ホッとしたのも束の間もうすぐクラス役員の選出です

次年度はそれをやらなければいけなくて・・・ああ・・・今年は大変だったから、来年は少しラクさせてもらいたいな~

幼稚園を辞めた理由

うちの下の子は、昨年9月に幼稚園から保育園に転園しました。

以下、この話題に興味のある方に向けてだけ書かせていただきます。

関係ない方は是非スルーして下さいね。

                      ★★★

転園した理由については色々あるのですが、そのことがいまだに園で話題になり、お騒がせしていると聞き、ホントにびっくりしています。

特に、幼稚園の役員制度と謝恩会が今年から取りやめになり、その原因は私だということになっているそうです。

それについて一部の保護者からは感謝され、一部の保護者からは散々に言われているとか

もう一年以上前のことなのに、まだまだ過去のことにはなっていないんですね

幼稚園を辞める際に、私はごくごく親しい人にしか私の状況を説明しませんでした。それが憶測を呼び、あることないこと広がっていったようで、だったらすべてお話ししてから辞めるべきだったかな、と、ちょっと考えてしまいました。(といっても、誰に何を話せば良かったのか分かりませんが)

まぁ、今更細かいことを言う気はありませんが、これだけはハッキリさせておきたい。

幼稚園の役員制度や謝恩会をなくした方がいい、などと、私は一度たりとも言ったことはありません。

私が担当する予定だった謝恩会については、その内容やスタイルについて疑問はありました。

私のイメージする謝恩会と、その幼稚園の謝恩会には大きな隔たりがあったからです。

また、私と同じ疑問を持つ保護者も少なからずいたこと、担当の役員の数が減らされたこと、謝恩会の出し物などをめぐり、保護者同士でもめ事が起きたケースが過去に何例もあったことなどから、もっと小規模でも、心温まる謝恩会の形に変えることも出来るのでは?と、当初は思いました。

しかし、そうした私の思いを丁寧にご説明する場がなかった上、面と向かってご説明した方が、まったく違う話にすり替えて(意図的かどうかは知りませんが)周囲に言って回ってしまったことから、私はいつのまにか「役員活動をやる気がない人」「もめ事をあえて起こそうとしている人」と、一部の方に誤解される結果となりました。

何かを変える・・・ということがどれほどエネルギーを必要とするか実感した出来事でした。

そうした状況を、園に相談できなかったというのも残念なことでした。役員活動について、園はまったく関知しないという姿勢だったためです。

園と役員が協力し合って一緒に活動するというのが私がイメージする役員活動でしたが、そういった意味では、とても孤独感を感じる出来事でもありました。

それらに関して、退園するとき主任の先生にはこう言わせていただきました。

「現在の役員活動について実際どの程度ご存じですか?

 毎年のように、役員活動に関わる何らかのトラブルが保護者間で起こっているという実態について、一度調べられてはどうでしょうか。」

そしてこう付け加えました。

「役員制度をやめろと言いたいのではありません。

少子化で子供が減れば保護者の数も減り、役員の頭数も減ります。活動内容や制度を変える必要がでてきますが、役員が主導で変えようとすれば、トラブルの元になります。

園にもっと関わってもらう必要はあると、私は思います。」

私の言葉を受けて、本当に実態を調査して下さったのかどうか、それは知りません。

でも、所詮辞めていく私の言葉は、それほど大きな影響力を持ったとは思えません。

ちょうど、園長先生が交代して体勢が変わる過渡期で、それが役員制度や謝恩会を見直した一番大きな理由だろうと私は思います。

私のせいであれもこれもなくなった、ということにすれば話題としては面白いですが、そんなに私、影響力ありませんよ

そして最後に、幼稚園を辞めた理由は、上記のことだけではありません。

意見の違いや誤解は、いずれ解消されることもあるでしょうし、時間の経過が薬になることもあるでしょう。上記のことだけで退園するような、そんな人間ではありません、一応

ここに書くことができないこと、書くほどでもないこと、そういった様々なことの積み重ねで、転園する決断をしたのです。

役員をお引き受けしておきながら途中で辞めたことについては、謝るべき人にはきちんとお詫びしましたし、また、辞める時期も熟慮し、一番大変な夏祭りが終わったあとを選びました。

ですから私は、加害者でも被害者でもないと思っています。

勝ち組でも負け組でもありません。

皆さんが大切にするものをぶち壊した(ぶち壊そうとした?)怪獣でも、

いじめっ子に袋だたきにされて泣きながら逃げたカメでもありません。

「みんなを騒がせたあげくにいなくなった」というご批判があったと風のウワサで聞きましたが、役員さんには確かにご迷惑をおかけしましたが、その他に「騒いだ」人たちは、本当にごく一部でした。

うちは途中入園だったので、いちども話したことがない保護者もたくさんいて、そういう人たちにとっては「誰だっけ?え?転園しちゃったんだ。へぇ」で、終わりの出来事だったそうです。

ですからもし「当時大騒ぎだった」というウワサがあるなら、それは間違いです。

むしろ「大騒ぎだった」と話す人には、なぜそう思うのか聞いてみたいぐらいです。

私は、自分と息子が必要とする保育を提供してくれる場所に、正々堂々と転園しました。

それだけのことで、いつまでも噂していただき申し訳ないほどだと思っています。

ただ、この経験は必ず漫画に活かそうと思っていますけどね!どんな風に活かすかは、乞うご期待です

そして、ここを読みに来て下さるほど私に興味を持ってくれた皆さん!是非、私の漫画も読んでくださいね

妊娠・出産体験談が良ければ「助産師さん呼びましょうか?」

家づくり体験談がお好みなら「わが家は今日も建築中!」が現在連載中です

今後ともどうぞよろしくお願いいたします

なんだよ!最後は宣伝かって?

そんな程度ですよつまんなくて、すみません

平成の大横綱・・・

貴乃花親方が相撲界から去ってしまいました・・・。

といっても私は最近の相撲にはほとんど興味はなく、小さい頃千代の富士の筋肉が最高にかっこよかったとか、若貴とは同世代だったので当時の相撲フィーバーを実体験として思い出せるとか、その程度の人間なのですが・・・。

こんな私でも、この「貴乃花VS相撲協会」という構図は興味深く見ていたので、それに関してちょっと感じたことを書こうと思います。

私が興味を持ったのネット記事についてです。

私がざっと見た限りでは、ネットでの反応はかなりの割合で「貴乃花派」が多いかなと思います。

それに反するように、記事自体は協会寄りというか、貴乃花の性格や手続きの不備などの問題を指摘しているものが多く、それを読んだ読者が「いやいや、協会のほうがブラックでしょ」というコメントで溢れるという状態です。

で、この「記事」というのが本当に興味深い。

ネット記事というのは、クリックしてもらってナンボの世界なので、読者がどんな気持ちでその記事を読んだかどうかは関係ありません。

コメントが「こんな記事間違っている!」という内容でもなんでも構わないんですよね。読者の関心を呼び、クリックしてもらい、コメントを残してもらえたら、それが記者の実績につながる。

私はネット配信マンガを書いているので良く分かりますが、あの手この手でなんとかクリックしてもらおうと頑張っているのが良く分かる。センセーショナルなタイトルをつけたり、世の中の流れとは逆の目線で記事を書いたり・・・。

紙の雑誌であれば、その本一冊の売れ行きというぼんやりとした評価で救われる部分もあります。

アンケートに「どの記事が一番良かったですか」という項目があり、その順位で評価は出ますが、そもそもアンケートに回答する人はごくごく限られていたので、「評判が良かった」と聞かされても、やっぱりどこかぼんやりした評価で済んでいました。

しかも、評価が出るのは記事が出てから何週間か先。その記事について自分の中でも色々反芻した後になるので、冷静にその評価を受け取ることができました。

でも、ネット記事はまさに記事1つ1つの勝負!あからさまに評価が出ます。それもアップした瞬間から数時間で。

当たり前ですが、記者の熱い想いや考察なんか、盛り込む暇はありません。

ああ、無理だな。ネット配信の記事を書く仕事なんて、私には絶対できないな、と、つくづく思うワケです。だって、自分の思いがない記事(または思いに反する記事)を、とにかく時間に追われて書くなんて、どれだけストレスがたまるか!!!

そのストレスを吹き飛ばすには、「クリックッ数」と「コメント数(内容は問わず)」を稼ぐしかない!と、だんだん自分の思考回路もそうなってしまうと思います。

ですから、ネット記事を注意深く見ていると、同じような内容の記事が溢れてきたり、その事件になかなか進展が見えない、新しい情報が増えない場合、苦肉の策のような記事が増えていきます。今まさに、貴乃花引退に関する記事がそんな状況です。

その段階に至った記事は、あまり信用しない方がいいです。

頑張っている記者さんには申し訳ないですが・・・ね

・・・なんてことを考えつつ・・・ちなみに、私はもちろん、貴乃花派です

「社会人として、組織人として貴乃花の言動は・・・」とおっしゃる方もいるようですが(うちの夫とかね)、貴乃花はガチンコ相撲で横綱になった、相撲道をつきつめた奇人変人ですよ!?いわば芸術家なんです!!

その方を自分たちと同じ土俵におろして考えようなんて、土台無理な話なんですよ。

いくら横綱でも引退したら組織のルールに従ってもらう・・・という、一見正論のような言葉を盾に、自分に従わせようとか、頭を下げさせようなんて、私にしてみれば岡本太郎さんに「名刺の出し方が間違ってる!」って講釈たれるようなもんだと思います。

世の中のルールはもちろん大切ですが、「自分だって耐えている・例外は認めない」という頑なな姿勢は、その人の度量の狭ささえ露呈させると私は思っています。

例外はあるんです。

芸術家だったらすぐに「あ、例外の人ね」と理解してあげられるのに、どうして貴乃花だと「一般人」だと思っちゃうんでしょうね。そこがそもそも間違ってると思うんですよ。

そしてその例外にあたる存在の人はたいてい、「生きづらさ」を抱えています。

そうした人たちを活かすも殺すも、凡人である私たち(皆さんは例外の側かもしれませんが)にかかっています。お互い共存してるんです。周りの凡人が守って、活かしてあげてこそ例外の人たちは輝くんです

ただ、相撲協会の人たちは自分たちも力士で同じ土俵にいた身。

「自分たちは凡人の側」と割り切れない方も多いのかもしれません。

だとしたら、協会の運営は外部の有識者を入れるなどした方がいいのかなと思いますが、みなさんはどんな感想をお持ちでしょうか。

次のマンガの構想・・・

今日やっと、「わが家は今日も建築中!」159話~170話を入稿して一段落!

今回はギリギリでした

夏休みは子どもたちのあれこれで忙しいし、9月は連休続きでこれまた忙しい

子どもたちの学校が休みというのは、母親にとってはまったく休息にはならないですからね~。

さて、「わが家は~」の連載も170話まで描き上がり、土地購入まで済みました。

このあと土地の引き渡し→工務店の決定あたりまではこれまで通りのスタイルで描き進める予定ですが、そのあとはちょっと検討中です。

家づくりの最中って、そんなに毎週毎週進展があるわけでもないので、時系列を重視して描くと、ちょっと描きにくくなるんですよね。

試行錯誤ではありますが、いろいろ考えてやってみますね

あと1年以内にはなんとか最終回までたどり着こうとは思ってますが・・・どうなることやら

そしてちょっと気が早いのですが、実はそのあとに描きたい作品がありまして・・・。

時間を見つけて勉強したり、プロットを組み立てて書き留めたり、少しづつですが構想を練り始めています。

「わが家は今日も建築中!」もそうですが、私は作品を描くとき、ラストや最終回を最初に決めています。

というか、最終回を想像して、「これならイケる!」と、自分自身が納得いかないと、自信を持って連載を始められない

次回作もなぜか最終回だけはがっつり頭に浮かんでいるという状態ではありますが、ここから作り上げていくのはホント~に楽しい

マンガって、紙とペンさえあれば、自分でどんな人物も、どんな世界も、ゼロから産み出すことができる・・・って、こんな面白いことってなかなかないですよね

お金儲けという意味では、私は全然稼げていませんが、この面白さがあればこそ、続けていられるんだなぁと思います。

現在私が連載しているnoteという場所には漫画家はもちろん、クリエイターの方がたくさん投稿しています。

クリエーター同士が互いに刺激を与え合い、認め合っている感じがなかなかいいんですよ

noteにはサポートシステムというのがあり、気に入ったクリエーターに募金できるんですが、ありがたいことに同じ漫画家の方から500円の寄付をいただきました

お互い頑張りましょう!という思いが詰まった500円に、ものすごく感激しました

漫画家って普段は孤独ですしね

私のマンガをnoteで読んでくださっている皆さんも是非、他の方の記事も読んでいただき、「スキ」を押していただけたらと思います。

あ、もちろん私のマンガにも「スキ」してくださいね

「わが家は今日も建築中!」がもうすぐ・・・

デンショバで連載中の「わが家は今日も建築中!」が、もうすぐ電子書籍として発売になります!

一年以上連載をしてきて原稿が溜まったので、ようやくという感じです。

で、せっかくだからとオマケページを描こうかな、なんて編集の方に相談したら

「いいですね~!」って乗せられてしまい、結果、めちゃ忙しくなってしまいました

そしてこういう時に限って色々重なる

イラストの依頼も数件・・・、さらに子どもの学校の役員活動が、この5月~6月がMAXで・・・

とにかくやるしかないですね。

ひとつひとつ、目の前のことに取り組むべし!

電子書籍が発売になりましたら、またご報告させていただきます。

最近の私の癒やしは、わが家の深紅のバラが美しく咲き乱れてくれていること。

草花はやっぱりいいですね

良い保育園・幼稚園の見分け方~まとめ~

「良い保育園・幼稚園の見分け方」は、6回目となる今回でまとめです。

書きたいことがいっぱいあるので、まだまだ続けることはできるのですが・・・。

ま、とりあえず、全然関係ない方も読んでくれてますしね

保育園や幼稚園は、我が子が社会と関わる最初の一歩。

バッグや持ち物に名前を書いて準備しているとき、子ども以上に親の方がワクワクするものだったりします

新しい環境にうまく打ち解けて欲しい、お友達をたくさん作って欲しい、運動会やお遊戯会で可愛い姿を見せて欲しい・・・そんな希望に胸が膨らみます。

その反面、我が子に合った園かどうか、先生方はしっかりみてくれるか、安全か・・・そして母親自身も気の合うママ友に恵まれるかなど、不安もいっぱいかと思います。

ネットで口コミを見たり、見学に行ったり、卒園生や在園生に話を聞いたりと、情報収集の方法は色々ありますし、大抵の方はそれをした上で園を決めていると思います。

でも残念ながら、入園する4月には園の状況が一変していることも少なくありません。

その大きな要因は、年度末での先生方の異動や離職です。

特に公立の園では園長先生の異動は良くあることですし、私立の園では若い先生が一気に辞めてしまうなどもよく聞く話です。

去年まではとてもいい園でも、今年はどうかわからないというのが実はホントの所なのです。

それは保護者同士の関係も同じ。

気が合う保護者がちょうどたくさん集まっている代もあれば、「おや?」という雰囲気の代もあります。それこそ、蓋を開けてみてのお楽しみ状態です。

そう思うと、「運も絡んでいるんだから、結局どこも同じ」とあきらめモードになる方も多いと思いますが、確かに、あきらめるのもひとつの方法だと思います

「子どもが安全に、嫌がらずに通っていられるならそれで良し」ですもんね。

ただ、何かトラブルが起きた時が問題です。

・子ども同士のケンカで被害者や加害者になった時

・園の不注意で事故が起きた時

・役員や係の活動で園ともめたり、保護者同士がもめた時・・・etc

あって欲しくないことが起きた時、園はどう対応してくれるか。また、そうしたトラブルに備えてどのような対策が練られているか。実はそれこそが「良い園」かどうかの判断基準ではないかと思います。

はる君が最後にお世話になった公立保育園では、入園の際に園長先生からこんな説明を受けました。

「疑問やご不満は、すぐに私たちに言ってください。子どもを人質に取られているようで何も言えないとか、クレーマーみたいに思われたら心外だとか、そんな風に思って欲しくないんです。保護者の方のご意見やご指摘を、私たちも一緒に考えて、より良い園にしていきたいと職員一同常に考えていますから。」

そして、「それでももし、私たちに言いにくいことがあれば、第三者聞き取り制度があります。そちらを利用していただくこともできますが、そうならないよう、私たちも頑張っていきます。」

この説明を受けたとき、私は「この園は大丈夫」と確信しました。結果は・・・「良い保育園・幼稚園の見分け方①」をもう一度ご覧ください。

この園長先生には登園最後の日にご挨拶をしましたが

「本当に優しいお子さんで、半年間でしたけどこんなイイ子が入ってきてくれて本当によかったねって、職員と話してたんですよ。」と声を掛けてくださいました。

半年しかいなかった私たちに最後まで温かい言葉を掛けてくれた園長先生と、この園には、本当に感謝しかありません

長いようで短い子どもの幼児期。ホント、もしかしたら一番可愛い時期かもしれません

その大切な数年間を安心してお任せできる園、子どもたちの成長をともに喜び合える温かい先生に、どうか皆さんが出会えますように・・・

良い保育園・幼稚園の見分け方⑤

園の見学をする際に、ちょっと気に掛けた方がいいかな、と思うことがもう一つあります。

②若い先生がイキイキしているか

「イキイキしている」という表現もかなり主観的だし、何が基準か分かりづらいですが・・・

ウチの子どもは新設した園の第一期生になったことが2回あります。

新設して2年目の園にも1年ほどお世話になりました。

その3園でとてもいいなと思ったのは、若い先生もベテランの先生もみんな一緒に

「園をどうしていこうか同じ立場で話し合って試行錯誤している」

という点でした。

なまじ伝統がある園だったり、長く務めているベテラン先生がいると、若い新任の先生はどうしても小さくなってしまいます。

世間とズレた伝統や習慣に気づけるのは、大抵新しく入ってきた新しい目を持った人なのですが、上の先生たちが高圧的だったり自分たちの価値観を押しつけている園では、それが活かせません。

いずれ、新しい先生達もその価値観に取り込まれて行ってしまう可能性が高いです。

よく「先生の入れ替わりが激しい園は要注意」というのを聞きますが、それと同じくらい、

「若い先生がベテラン先生たちの目を気にしすぎることなく、自分の意思で動いたり声かけをしたりできているか」

そういう部分のチェックも、割といい判断材料になると思います。

私が「残念だな」と思った園で、かつてこんなことがありました。

お迎えに行ったとき、ベテラン先生は愛想はとてもいいのですが、子どもの今日の様子を全く教えてくれません。

明らかに時間があるときでも、「さようなら~」で終わり。

ところが、補助に入っている新人の先生だと、「今日は折り紙をしたんですよ。すごく集中して頑張っていました。ね!」と、かならずひと言添えて送り出してくれます。

でも、その声がなんだかちょっとコソコソ声なんですよ。

まるで悪いことでもしているみたいな・・・。。

その新人の先生はベテラン先生になにかと注意される若い先生だったので、「新人なのにさしでがましいことをしている」とでも思っていたのでしょうか・・・。

でも親からしたら、そのひと言添えてくれる気遣いは本当に嬉しいものだし、ベテラン先生こそそれを見習うべきだと思うんですけどね。

その後、あの新人の先生はどうしてるかな。ベテラン先生が変な教育をしなければいいなと願うばかりですが・・・

さて、「良い保育園・幼稚園の見分け方」は次回でまとめにしたいと思います。

良い保育園・幼稚園の見分け方④

さて、良い幼稚園・保育園についての見分け方の4回目ですが。

では実際に見学に行ったとき何を見れば良いかということを、私なりに考えてみました。

まず、私が一番強く感じるのは・・・

①良い園の教室・保育室は明るい

これは、窓が大きい、南側に面している、照明が明るい、という実際の照度が高いということがあります。

それに加えて、壁や天井・カーテンの色、家具の配置、子どもたちの作品の飾り方などなど、様々な要素が関係して「明るく感じる」ということもあるのでしょう。

私は専門家ではないので、ひとつひとつの要素を吟味する目は持っていませんが、

部屋に入った瞬間に

「あ、この部屋は明るい

と感じることができたら、それは子どもたちも同じではないかと思うんです。

目から入ってくる情報は、人の気分を間違いなく左右します。

病院の壁の色はそうした心理学に基づいて選ばれているという話も聞いたこともあります。

私は一応マンガ家の端くれですから、塗る色によって絵の印象がどれほど大きく変わるかを知っているつもりです。

まぁ普通に考えて、明るく温かい雰囲気を演出してある部屋の方が、そうでない部屋で過ごすよりずっと気分が良いということに、異論のある方はいないと思います。

実際、私がこれまで「残念だな」と思った園は、やっぱり園の中に暗い場所が多くあったのを思い出します。

単純に「電気が暗い!」ということをまず感じましたし、飾ってある額がどれももれなく色あせていたり、昔の運動会で使った人形などが、ほこりをかぶって廊下に置かれていたり

ま、自分の家でも良くありますよね。

いつも同じ場所だけ掃除してしまい、ず~っと抜けている場所があるとか・・・

年月が経ってみすぼらしくなった飾り物を、平気で飾り続けてしまうとか・・・

常に新しい目で園の隅々まで見回すことができる・・・というのは、実はすごく大変なことだと思うのです。

それができている園はきっと、先生方の心に余裕と向上心があり、良くない部分を指摘し合える風通しの良さもある!と思うのですが、いかがでしょうか。

つづきは⑤で・・・!

2018年 明けましておめでとうございます!

2018

より以前の記事一覧

2019年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

リンク

おすすめブログ






無料ブログはココログ